心の声に従うブログ

心の声の人 たっつん

「自分を愛するレッスン」がやってきた話

 

今日は現在進行形の自分の話をします。

 

僕自身が心の声に

氣付いた内観の話。

 

 

 

最近、少し張り切りすぎてたせいか、

若干疲れ気味で、

 

体が緊張状態になってるな〜

 

って自分で感じてて。

 

分かりやすいことに、

僕はこういうときに咳が出る。

 

 

最近、コホンコホンと咳が出始めてて、

 

ちょっと頑張り

すぎてるんだろうな……

 

って自覚してた。

 

それは別に時間や労力的なものではなくて、

繊細な心の声に耳をすますような感覚。

 

 

時間や労力で言えば、

超ゆとりのある生活してるし、w

寝食削って働き詰めてるわけじゃないからね。

 

 

今、毎日ブログ書いたり、

これからのビジョンを考えることはとても楽しくて、

ついつい常にそのことばっかり考えてしまう。

 

でも、ふと立ち止まって考えてみて。

 

 

何をそんなに

焦ってるんだろう?

 

なんでそんなに

急いで成果を

出したがってるんだろう?

 

 

って思って。

 

半年間自由を満喫して、

ようやく何かに打ち込みたくなってきて、

自分の成果や形を作っていきたくなって、

そんで今こうして頑張ってるんだけど、

 

 

ちょっと焦りすぎてないか?

 

 

って思ったんだよね。

 

 

それで、

ノートに素直な氣持ちを書いてみたら

たくさん出てきたんだよね〜。

 

なんてことのない、

ありきたりな話なんだけど。

 

 

僕は素直に、

 

大きな成果を出してる人

たくさんの人に希望を与えてる人

 

ってすごいな、って思う。

 

シンプルにカッコイイな、って思うし、

自分もそうなりたいな、って思う。

 

 

僕が自分も頑張りたいな、って思った

キッカケはシンプルで、

学生以来に再会した友人が、

 

音楽活動1本で生計を立てていたり、

自分で会社を立ち上げて従業員を雇っていたり、

地域再生、学生の教育の事業をしていたり、

 

みんな、

 

自分が築いてきた

誇れるもの

 

を持っていたからだ。

 

 

友達だけじゃなく、周りを見渡せば

同世代でも活躍している人がたくさんいる。

 

目に見える形で成果を出してる人、

社会に貢献してる人がたくさんいる。

 

 

決してそんなことはないんだけど、僕は、

 

 

自分には誇れるものがない

 

 

と素直に思った。

 

 

みんなかっこいいな

 

 

って思った。

 

 

半年近く好きなことを自由にやってきて、

本当に心地いい、氣持ちいい、

楽しい毎日を過ごしてきてたけど、

 

急に、何もない自分が

悔しく感じられた。

 

 

そんなことがいくつか続き、

 

自分も頑張りたい、打ち込みたい

誰かに愛を届けたい、貢献したい

成果を作りたい、誇れるものが欲しい

 

って強く思うようになって、

その頃からブログもスタンスを変えて、

本氣で取り組み始めた。

 

 

僕はそのときは、

 

自分の中の女性性が

確立されてきて、

男性性が力を

発揮したがってる

 

んだと思ってて、

 

自由や安心が満たされてきたから、

頑張りたくなってきたんだろう

 

と解釈してた。

 

 

ありがたいことにコツコツと

ブログの閲覧者数もLINE@の登録者も

増えてきて、とても順調に進んでる。

 

でも、最近、心や体に小さな違和感があって、

焦りを感じていて、ノートで掘り下げていたら、

氣付いていない心の声がたくさんあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は小さい。何もない。力がない。

誇れるものがない。悔しい。悲しい。

虚勢ではない、胸を張れる”本当の誇り”が欲しい。

力が欲しい。力が証明できる成果が欲しい。

 

自分もすごい人になりたい。

すごい人の仲間入りしたい。

すごい人に認められたい。

オンリーワンの特別な存在で在りたい。

一目置かれたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

力がないと、居場所が得られない。

存在感がないと、仲間はずれになる。

仲間はずれは、惨めだ。

仲間はずれは、恥ずかしい。

 

そんな姿は見られたくない。

そんな姿を見られるくらいなら、消えてしまいたい。

 

そんな惨めな時間は、一瞬でも早く過ぎ去って欲しい。

 

 

こんな恥ずかしい経験は、もう二度としたくない。

こんな惨めな体験は、もう二度としたくない。

 

 

だから、力が必要だ。

他者を認めさせる力が。

 

力ある人に評価させるだけの成果が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、誰も、

僕を無視しないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生でずっと、

受け入れてもらえないことが

怖かったんだと思う。

 

悲しみを感じ、思い込みを築くキッカケとなった

幼少期の原体験が鮮明に思い出された。

 

 

 

幸いというべきかどうかは分からないけど、

僕はそこそこ器用に生きることができた。

 

物の覚えは早い方だし、

勉強すれば大抵のことはうまくこなせた。

 

 

ひたすらゲームばかりしてた中高の時代から、

大学に入り、人間関係で四苦八苦しながらも

コミュニケーションを覚えた。心理学も覚えた。

 

自分の存在感を発揮することも、

場の中心となることも、

他人から評価されることも、

どれもそこそこ実現したように思う。

 

 

当然、仲間はずれになることも、

受け入れてもらえないことも、

一切なくなった。

 

 

自分を受け入れていないのは、

 

自分だけ

 

だったんだと思う。

 

 

たくさん出てきた氣持ちを

集約するのなら、

 

 

受け入れて

もらうためには

「力」が必要だ

 

今の自分の

ままじゃダメだ

 

もっと力を

付けないと

 

 

だ。

 

 

無意識のうちに

このままじゃダメだと

自分に言い続けていた。

 

誇れるものがない自分を否定し、

勝手に不安になってた。

 

本当は、たくさん素晴らしいものや

誇れる物を持っているのに。

 

それじゃダメだと、到底足りないと、

否定し続けていた。

 

 

もちろん、これが全ての原動力じゃない。

 

実際は、好奇心や未来に対するワクワクが、

大部分を占めている。

 

(怖れや不安だけで動いていたらもっと苦しい)

 

 

だけど、

ずっと氣づいていなかった氣持ちも、

確かに自分の中に存在していた。

 

緊張状態の体や、

出始めた咳や、

焦りを感じる心が、

 

サインを出してくれていた。

 

このままいかないで

 

と。

 

 

 

人は、どこまでいっても、

 

「ありのままの自分」で

愛されたい生き物だし、

 

「ありのままの自分」を

愛したい生き物だと思う。

 

 

だから、

 

弱い自分

かっこ悪い自分

情けない自分

惨めな自分

恥ずかしい自分

ダサい自分

みっともない自分

 

そんな自分を変えることなく、

そのまんま幸せになっていい。

 

どんな自分も、

 

否定しなくていいし、

なかったことにしなくていいし、

消してしまわなくていいし、

忘れようとしなくていいし、

置いていこうとしなくていい。

 

 

克服すべき

自分なんて、

何ひとつない。

 

否定されるべき

自分なんて

どこにもいない。

 

 

そのまんまを愛して、

そのまんまで愛されて、

そのまんまで生きて

いっていい。

 

 

ただ、そのためには何度も

 

自分を愛するレッスン

 

を乗り越えなければいけない。

 

どこまで弱い自分、みっともない自分、

非常識な自分、ありのままの自分を

愛せるのか。赦せるのか。受け入れられるのか。

 

 

それを現実で常に

問われ続けていく。

 

 

僕も自分の中に見つけた、

 

認められたい自分

焦ってしまう自分

仲間はずれにされたくない自分

強がりな自分

ジャッジが強い自分

エゴがたくさんある自分

 

 

も愛してやりたいな、って思う。

もっと自分を安心させてやりたいな、って思う。

 

それは、ちょっと恥ずかしいし、

とても勇氣がいることだけど。

 

 

今回のことも氣付いたからといって、

すぐに全てが消化されるわけじゃないけど、

こういうことを繰り返して、

ひとつずつ選択を変えて、

 

またひとつ自分を

愛せるようになって、

 

またひとつ自分に

愛されるようになっていく

 

んだと思う。

 

 

変なプライドとか、

虚勢とか、

見栄とか、

言い訳を捨てて、

 

カッコ悪くても堂々と、

自分自身を生きていきたいなぁ、って思った。

 

 

 

 

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それでは。

 

 

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