心の声に従うブログ

「引き寄せの法則」を徹底解説

感じて感じて感じ尽くした先にある「至福」という名の宝物

 

「こんなとき」だからこそ、

改めて見直したい大事なこと

 

僕も改めて今を振り返っていて、

そこで大事だと感じることを

シェアしていきます。^^

 

 

これまでの記事はこちら。

 

「こんなとき」だからこそ改めて見直したい大事なこと

若者を見ると「次の時代」が見えてくる。〜『何かのため』に生きる時代の終焉〜

 

前回までの記事では、

時代背景を解説しながら、

 

改めて自分の喜びを

見直してみませんか?

 

という話を続けてきたのですが、

そうは言っても、

 

「何が楽しいとか何が好きとかよく分からない」

 

という人も少なくないと思います。

 

僕のところにもよく、

 

「何が本音か分かりません」

「好きなことが分かりません」

 

という質問は多く寄せられます。

 

 

そこで今日は、

 

至福を探る

 

というテーマを、僕の体験談を

交えながら話していきたいと思います。

 

 

いきなりですけど、僕は先月、

千恵さんと子ども達と、1週間ほど

沖縄の久高島に行ってきたんですが、

それがめちゃくちゃよかったんですね〜〜〜

 

それは、「神の島」と呼ばれる所以である、

天地開闢の地であることや、

1978年まで女性が神人に生まれ変わる儀式を

ずっと続けてきたこと(今でも一部続けられています)

 

そうしたスピリチュアルな側面、

歴史的な側面でとても

よかったのもあるのですが、

 

めちゃくちゃシンプルに

自然が超氣持ちよかった

 

のです。

 

 

久高島は観光地として

有名な石垣島や宮古島とは違い、

観光地として決して有名ではありません。

 

そのため、開発も全くされておらず、

(島民が伝統を守ってきた)

街頭の光も家の前くらいにしかなくて、

夜になれば自動的に満点の星空でした。

 

夜になって、月が昇るまでは、

 

あたり一面、漆黒の闇。

 

月明かりならぬ、星明かりだけで

大地が照らされます。

 

 

今の世の中、外に出ればどこにでも

街灯があるのが普通で、夜の闇なんて

毎日365日やってくるにもかかわらず、

その闇を体験したことがある人は

少ないんじゃないかなと思います。

 

星も、どこでも目立つ冬の大三角形や、

オリオン座、北斗七星だけじゃなく、

ふたご座、しし座、うしかい座、他にも

知らない星々がたくさん見えました。

 

やがて、月が昇ってくると

星の輝きは少し小さくなり、

その代わりに驚かされるのは、

月の明るさです。

 

 

暗闇になれた目で外を歩いていると、

 

「これ電気ついてるんじゃね??」

 

って思うほどの明るさで、

街灯一つない暗闇の中に、

自分の影がくっきりと浮かび上がります。

 

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iPhoneで撮ってこの明るさで、

しかも、これで満月じゃなくて

3/4くらいのサイズです。

 

最初は街灯がない道を歩くのは、

まじで真っ暗で結構怖いんですが、笑

 

星も月もものすごく綺麗で、

そこに波の音と風がそよぐ音

だけが鳴っている。

 

それがめちゃくちゃ氣持ちよかったのです。

 

 

そして、朝になれば朝日が美しく、

昼になれば海が美しく、

夕方になれば夕陽が美しく、

波の音も、風の感触も、木々の緑も、

どれもとても心地よくて豊かだったのです。

 

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未明。陽が昇る直前。

 

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朝日。

 

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雲がどいたらこんな感じ。

 

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海。

 

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休憩所?

 

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儀式場への道。

 

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夕暮れ。

 

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夕陽。

 

 

こんな感じで、

とても心地いい数日を過ごしていたんだけど、

島の滞在中に1つやらなきゃいけない仕事があって、

 

それは千恵さんと2人でやっている

音声プログラムの「GARDEN」

配信だったんだけど、

 

そのためにパソコンを広げて

音声編集をしてメールを書いて、

ってやっていたときに、

 

僕の中で大きな

氣付きがあった

 

のです。

 

 

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(作業していると

そっとねこがやってきて……)

 

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(絡まれる。笑)

 

 

その氣付きは何かと言うと、

 

パソコンを広げると、

どうしても他の仕事やタスクが

目に入ってしまいます。

 

すると、

 

「◯日までにこれを準備しなきゃな」

「こっちの連絡もしておかないと」

 

と、

 

いろんなことを考え始める

 

んですね。

 

 

で、そこで氣付いたんです。

 

「あ、いま、

心が少し窮屈になったな」

 

って。

 

 

基本的に好きなことをして

毎日楽しく生きられているので、

仕事で不安になったりすることはほぼない

(超疲れてエネルギーが尽きたりしなければ)

のですが、

 

それまで島の大自然でひたすら

豊かさや心が広くなる感覚を味わっていたり、

湧き出てくる直感に従っていたのが、

 

意識が「今、ここ」から外れて、

未来のことや、やるべきことに

向いた瞬間に心が狭くなるのを感じた

 

のです。

 

 

そして、同時に、

 

意識が「今、ここ」から外れずに

今あるものを感じていると、

怖れも不安も存在しないんだな

 

と思ったのです。

 

 

もう少し日常の感覚に近い言葉で言えば、

存在しないというより、

 

忘れてしまっている

 

という感覚の方が馴染みが

あるかもしれません。

 

 

誰もが氣晴らしに遊びに出かけて

楽しい時間を過ごしたり、

好きな人との時間に夢中になっていると、

 

その時間が終わるときに、

急に現実に帰ってきて、

 

「あー、帰ったら家のことやらなきゃ」

「明日からまた仕事がんばらなきゃ」

 

って、憂鬱になった体験が

あるんじゃないかと思うんだけど、

 

それって、遊びや好きな人との時間に

夢中になっているとき、つまり、

 

「今、ここ」を

感じているとき

怖れも不安もない

 

のです。

 

 

もっと言うと、

満たされない氣持ちや、

自己否定の氣持ち、劣等感、

後悔、心配、こうした

様々なネガティブな感情も

 

怖れ・不安

 

から生まれているので、

 

「今、ここ」を

感じているとき

自己否定も欠乏感もない

 

のです。

 

 

こういうとき、よく、

 

「楽しい時間で不安も忘れてた」

「楽しい時間が終わって

一氣に現実に引き戻された」

 

なんて言ったりしますが、

 

不安を忘れていたときこそが

本来の「今、ここ」の状態

 

で、

 

引き戻された現実の状態が、

過去や未来に意識が飛んだ

思考に支配された状態

 

なのだと思います。

 

だから、忘れていた、と言うよりは

「本来の状態に戻った」と言う方が

適切じゃないかなと思うのです。

 

 

少し話が広がってきたので、

話を今日のテーマである、

 

「至福を探る」

 

に戻していきます。

 

 

至福、というと難しく感じますが、

簡単に言えば、「無条件の喜び」のことです。

 

それそのものが嬉しい、楽しい、心地いいもの。

 

これって、どうやったら見つかると思いますか?

 

 

自己分析をする?

いろんなワークをやってみる?

とにかくいろんなことをやってみる?

 

 

いろいろな方法があるかもしれませんが、

すごく素朴にシンプルに立ち返ってみると、

 

「楽しい」という氣持ちも、

「愛し合う喜び」も、

「心が震える感動」も、

「熱中する情熱」も、

「心躍るワクワク」も、

「おいしい」という感覚も、

「心地いい」という感覚も、

 

至福はすべて

「感じるもの」

 

だということが分かると思います。

 

 

そうなると、さっきの2つの意識、

 

「今、ここ」を、感じている意識

 

と、

 

「過去や未来」ばかり、考えている意識

 

どっちの方が喜びや本音が

見えてくると思いますか。

 

 

誰もが知るブルース・リーの名言に

 

「Don’t think. FEEL!」

(考えるな。感じるんだ!)

 

という言葉がありますが、

至福も、本音も、真理も、

この世のあらゆるものは、

 

感じることでしか

実相をつかめない

 

んじゃないかなと僕は思います。

 

 

至福を生きる人生はとてもシンプルで、

 

心地いいものを感じ、

心地悪いものを感じ、

喜びを感じ、

悲しみを感じ、

感動を感じ、

悔しさを感じ、

おいしさを感じ、

まずさを感じ、

情熱を感じ、

ワクワクを感じ、

挑戦する恐怖を感じ、

恋心を感じ、

愛おしさを感じ、

受け取る喜びを感じ、

安らぎを感じ、

与える喜びを感じ、

今ある豊かさを感じ、

幸せを感じ、

死の恐怖を感じ、

ありがたさを感じ……

 

この五感の全てを使って、

この心の全てを使って、

感じて感じて感じ尽くして、

 

自分の内側に確かに

「そこにある」素直な

氣持ちや感覚に従っていくこと

 

それが、

 

「今、ここ」の

至福に従う人生

 

なんじゃないかなと思うのです。

 

 

至福を生きてる人って、

悲しまない人じゃないし、

怒らない人でもないし、

落ち込まない人でもない。

 

それらを全てちゃんと

感じている人だから、

 

悲しみ続けないし、

怒り続けないし、

落ち込み続けなくなっていく

 

んだよ。

 

 

これまでの日本は、

資本主義と強い常識の中で、

 

感じること

 

よりも、

 

効率性や生産性

 

を強く求められてきたから

どうしても、

 

感じていることを無視して、

感じていることをなかったことにして、

感じていることを押し込めて、

 

「〇〇しなきゃいけない」

「〇〇しちゃいけない」

「〇〇するべきだ」

 

と、

 

「今、ここ」の感覚から離れ、

過去や未来の痛みに囚われていき、

至福も、本音も、自分にとっての真実も、

見えなくなっていったのだと思います。

 

 

そういう僕も久高島から戻ってきて、

感覚が元に戻ってしまいそうなときがあるので、

そういうときは意識的に、

 

考えることをやめ、

頭を空っぽにして、

感覚にフォーカスして

感じてみるようにしています。

 

 

すると、僕の場合は

ごちゃついてた頭がすっきりして、

安心するというか、せかせか

しなくなるんですよね。

 

そしたら、その後の行動まで

変わっちゃうからびっくりです。笑

 

 

今日も朝、公園を散歩してきたんですが、

そしたら、陽の光が氣持ち良くて、

風が木々を揺らしていて、ざわめいていて、

散り際の桜が美しく光輝いていました。

 

枯れ木でさえ、どの枝も等しく

天に向かって伸び、美しい秩序を為している。

 

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その光景が美しくて、心地よくて、

僕は思ったんです。

 

なーんだ。

久高島じゃなくても、

この豊かさはすぐそばに

あるんじゃん。

 

って。

 

で、今ご機嫌になって、

このブログを書いています。

 

 

きっと「至福」ってそういうものです。

 

すぐそばにあって、

いつでも感じられて、

でも、感じてないときは存在しなくて、

また、感じたときに思い出す。

 

 

これまで僕たちはもうずっと、

 

「何かのため」に

頑張り続けてきた

 

と思います。

 

それは、言葉を変えれば、

 

感じたことよりも

「何か」を優先させてきた人生

 

です。

 

 

世の中の大変革の中、

生き方を問われる今、

 

もっと一緒に今を

感じていきませんか。

 

 

ついつい先回りして

考えてしまう僕が、

「こんなとき」だからこそ

大事にしたいと思ったことでした。^^

 

 

✨「『こんなとき』だからこそ改めて見直したい大事なこと」シリーズ✨

 

「こんなとき」だからこそ改めて見直したい大事なこと

若者を見ると「次の時代」が見えてくる。〜『何かのため』に生きる時代の終焉〜

 

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