心の声に従うブログ

「引き寄せの法則」を徹底解説

春分の日の夜中に三峯神社に登山して、人生の方向性が見えた話

 

先日、春分の日に三峯神社の奥宮に

参拝したときの話。

 

三峯神社の奥宮は、

妙法が岳という山の山頂にあって、

神社から90分ほど登ったところに

奥宮があるんだけど、

 

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(こんな感じの山道を登っていく)

 

いつもお世話になっている

縁の深い場所だったから、

春分の日にもお礼参りをしにいこう、いうことで、

千恵さんと話し合って、参拝することにしたのです。

 

 

で、参拝するとなったら普通は

日中だけど、千恵さんが、

 

「朝日を見なきゃいけない感じがする」

 

と言い出しまして。

 

 

ちょうどそのとき、

僕もメンヘラに取り組んでいたり、

同居によって家庭が

わちゃわちゃしてたのもあって、

 

夜明けの予感

 

も込めて、深夜に

登山することにしたのです。笑

(えらいこっちゃ!笑)

 

 

三峯神社の奥宮はこれまでも何回も

参拝したことがあって、道のりは

知ってるとは言え、深夜。

 

ヘッドライトを準備して、

十分に注意しながら登っていきました。

 

 

で、そのときに僕が前を歩いて、

千恵さんの足元をペンライトで

照らしながら進んでたんだけど、

 

そのときに、千恵さんが、

 

「ペンライトで私の足元を

照らさなくても大丈夫だよ。

自分で持つよ。

 

たつくんは後ろを振り返って

私の世話をしなくてもいいから、

一番自分がしたいようにして」

 

と言ってくれて、その瞬間にふと、

人生と登山が重なって見えたのです。

 

 

これは自覚しているパターンなんだけど、

僕はつい後ろを振り返って、誰かのケアをしたり、

大丈夫かどうかを確認してから、

自分が進むクセがあって、

 

これも幼少期からの母親に対する

パターンなんだけど、

それと同じことを千恵さんに対しても

していたんだなー、と感じたのです。

 

 

まぁ普通に2人で登山をしてたら、

それも夜中だったら、男性が女性をリードしたり

氣遣うのはある意味では当たり前かもしれないけど、

 

僕の場合は、プライベートでも

家庭や関係性を振り返って、

自分のやりたいことを後回しに

してしまうことがあったんだよね。

 

 

そんな話をしていたら、千恵さんが、

 

「そしたら、1回お互いに何も氣にせずに

自分の好きなペースで登ることを

やってみようよ!

 

次の鳥居に着くまでの間、お互い無言で、

たつくんは後ろを振り返らないで、

自分の自由にしてみて。

 

たつくんは世話しない、後ろを振り返らない。

 

私はたつくんのパートナーとしてじゃなくて、

1人の人間として自立して活動していく。

 

それをお互いやってみて

何を感じたかをシェアし合おうよ」

 

と言い出して、

早速チャレンジしてみることに。

 

 

そして、お互い無言で自分の

ペースで登る時間が始まると、僕は、

 

うーん。今1人で完全に

自由だったらどんな風に登りたいかな。

 

って感じてみると、

いきなり山道を走り出したのです!笑

 

 

深夜で真っ暗で危ないんだけど、

ヘッドライトで照らされた次の一歩のスペースを

瞬時に確認し、どこに着地して、

どう足を運んだら、次の一歩が

効率的に踏み出せるかを瞬間的に

捉えながら進むのが楽しくて、

 

感覚としては、次々と敵がやってくる

シューティングゲームをやってるような氣持ちで、

ぴょんぴょんと走り抜けていったのです。

 

 

それであるとき、ハッと我に返って

後ろを振り返ると、真っ暗。

 

何の足音も聞こえず、千恵さんを

心配する氣持ちが湧き上がってきます。

 

1分ほどじっと待つと、奥の方で、

うっすら明かりが見え、

 

「これはもう千恵さんを心配して

後ろを振り返るのはやめよう。

何かあったら声を出せば届くし、

千恵さんが信頼してくれた、

 

『存分に自由を生きる』

 

をやり切ろう」

 

と思って、そこからまた

ぴょんぴょん登っていきました。

 

 

氣が付くとあっという間に

次の鳥居に到着して、

すごく楽しい遊びが終わったような感覚で、

 

「暇だな〜」

 

って感じで千恵さんの到着を待っていました。

 

 

その後、合流してお互いの感じたことを

シェアしあったんだけど、

僕はシンプルに、楽しかったんだけど、

あっという間に到着して暇〜、って感じでした。笑

 

そこで思ったのは、本来僕が輝いているときって

こういう感じなんだなー、ってこと。

 

周りの人を氣にせず、

自分が楽しいと感じることに没頭して

進んでいく感じなんだなー、と。

 

 

そう考えると、いつからか分からないけど、

自分が周りを氣にせずに

楽しいことに没頭していくと、

 

「周りの人への氣遣いがない」

「自分は楽しいけど、周りは置いてけぼり」

 

みたいなイメージがあって、

自分がいかに楽しいかよりも、

周りとの調和を大事にするようになってた氣がする。

 

 

山を自由に登ったときの感覚が、

すごく遊んでる感覚で楽しかったから、

まさにドラゴンジョイというか、

これが自分らしい状態の1つなんだろうなー、って感じた。

 

 

で、山頂の奥宮に着いたとき、

いつもだったら感謝やお祈りや

いろんなことをするんだけど、

 

「あれ?さっきの登山中の無我夢中の

感覚が自分らしい状態なのだとしたら、

その状態の僕はお祈りとかしないぞ?笑」

 

ってなって、

 

「それよりも、このてっぺんで大声で

『ヤッホー!!』って叫んだら、

山のふもとまで聞こえるのかな?」

 

ってそっちの方がおもしろくなってしまって、

結局、お祈りもメッセージを受け取ることも、

何もせずに帰ってきました。笑

 

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(夜が明けつつある奥宮)

 

僕も神社とか、お祈りとか、

参拝して感覚を感じるとか好きなんだけど、

でも、もしかしたら本当はあんまり

興味がなかったのかも。笑

 

 

無邪氣さとか、好奇心とかの方が強い感じ。^^

 

 

その他にも山登りと人生が重なって

得られた氣付きがたくさんあって、

 

山登りは、普段の人生に対する習慣が

すごく表れるな、って感じた。

 

 

今回の登山を通して得られた氣付きや感覚が

体の感覚としてすごく腑に落ちていて、これから

おもしろいことに熱中して進んでいくぞ〜〜〜!!

ってモードになってます。

 

そして、このことが最後の一押しになって、

メンヘラ期が終わりを告げたんだよね。

 

あ、この喜びを生きていきたいな、って。

 

 

またひとつ本音の純度が

高まった奥宮参拝でした。^^

 

 

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