心の声に従うブログ

「引き寄せの法則」を徹底解説

あの日「理解されない」と凍った悲しみが、今になってようやく溶け始めた話

f:id:tatsunori-matsuda:20200325160323j:plain

 

f:id:tatsunori-matsuda:20200325160346j:plain

 

先週は智子さんの

「2020宇宙元旦 本当の自分を思い出しちゃうトークライブ」

にゲスト出演してきました〜!

 

智子さんのエネルギーを読み取った

メッセージや参加者のみなさんとの

掛け合いが印象的な、一体感ある場でした。

 

楽しかったな〜。^^

 

(智子さんのブログ)

 

主宰してくださった美穂さん、

お招きくださった智子さん、

本当にありがとうございました〜!

 

 

 

 

ではでは、今日の本題へ。

 

今日は、めっちゃ個人的な話。

僕の、両親との関係の中で築かれたジャッジが

また1つ見つかって、溶かし始めた話。

 

まだうまく整理できていない部分もあるので、

氣持ちの整理がてらに書いていきます。

 

先に言っておくと、長いです。笑

 

 

実は一昨日、仲間が「タイムウェーバー」という

身体、心、感情、思い込み、先祖、前世、などなど、

人のあらゆる次元、レイヤーの波動を測定できる

装置を導入したとのことで、体験させてもらってきて、

 

この話は今日の本題とはズレちゃうから

また詳しく別で話したいんだけど、

 

結果から言うと、めちゃくちゃ良くて、

ホント、これまで自分で内観&分析しても

分からなかった様々なことが

めちゃくちゃ分かったんだよね。

 

 

本当にめちゃくちゃいろんな

情報が分かるんだけど、

例えば、僕が驚いたもので言えば、

 

・両親のどちらかが統合失調症である

・父方に孤独から攻撃性を表現する人がいる

・肺に生まれながらに持ったエネルギーの固着(カルマ)がある

 

などなど、いろいろドンピシャで

 

「そんなことまで分かるの!?」

 

って感じだったのです。

 

 

またこの話は別で話すとして、

本題に入っていくと

その中で出てきた結果の1つに、

 

・コルチゾールが多い

 

という結果が出て、

コルチゾールっていうのは、

闘争ホルモンとも呼ばれるもので、

要するに、

 

怒りを抑圧している

 

という状態らしいのです。

 

 

実はこれには思い当たる節があって、

僕は調子が悪いときやエネルギーを使い果たしたとき、

自分のネガティブな感情はいつも

 

怒り・イラ立ち

 

として表われるからです。

 

そういうときは、

人と関わってもロクなことがないので、

いつも1人で内観しながら、お風呂や瞑想などで

心身を整えてエネルギーチャージしてるんだけど、

 

それって、燃え上がった炎に水をかけて

消化しているようなイメージで、

怒りの根元が解決されたわけではないんだよね。

 

 

 

僕は普段は、心の中でイラッとすることや

ムカつくことはよくあるけど、(よくあるんかい!)

苛立ちや怒りを表現することはほぼなくて、

 

で、それはなぜかと考えてみると、

 

「怒りを表現すると

ロクなことがない」

 

っていう思い込みがあることに

氣がついたんだよね。

 

 

これがめちゃくちゃ強くて、

これを書いている今でさえ、

めっちゃそう思っています。笑

 

もちろん、これも1つの思い込みで、

ジャッジで、幼少期の体験に根ざした

1つの幻想にすぎないことも頭では

理解しているんだけど、

 

僕の人生の中で、思い出す限り、

怒りを表現したときは

全てロクなことになっていない

記憶しかないから、どうしても

そのイメージしかできないのです。

 

 

それは、幼少期に

父が母に怒り狂っている姿を見て、

家庭が壊れていったのをずっと

見てきたのが大きいのだと思うけど、

 

大人になってからも、

怒りを表現している人が

周りを傷つけているシーンが

すごく印象に残っているからだと思う。

 

 

で、よく心理学の世界で言われるように、

 

「怒りの下には悲しみがある」

 

というのが原則で、

その悲しみが無視されたから、

怒りとなって外に出ます。

 

■参考

パートナーシップを調和させるテクニック(上級編)

 

だから、考えてみたんだよねー。

僕は一体何が悲しかったのか。

 

何が悲しくて、怒りが湧いてきていたのか。

 

 

掘り下げて掘り下げて、

何度も深堀りして出てきたのは、

 

「僕は理解されない」

 

という氣持ちでした。

 

これには自分でもびっくりしました。

 

だって、「理解されたい」だなんて思ったことがない。

少なくとも、自分が認識できる範囲では。

 

 

でも、これは千恵さんが言ってくれたんだけど、

僕が千恵さんとケンカをするとき、僕はよく、

 

「僕は千恵さんが怒っても拗ねても、

全部を受け入れてるのに、なんで

僕が怒ったときは受け入れてくれないの??」

 

と言ってるそうです。

 

確かに言われてみれば言ってる氣がする。

 

要するに、

 

理解する立場ばかりで

理解してもらえないのが悲しい

 

ということ。

 

 

それでもあんまりピンと来なくて、

だって、理解してもらいたい、なんて、

普段、そんなこと全く思ってない。

 

だけど、よくよく振り返ってみたら、

 

最初から理解されることを

あきらめている

 

ことに氣付いたのです。

 

 

この感覚、こじらせ組の人には

よく分かると思うんだけど、笑

 

どうせこの人は

自分のことを理解できない

 

と勝手に決めつけて、最初から

理解されることをあきらめていたんだよね。

 

そして、理解されることをあきらめると、

理解してほしい、という氣持ちは

もう出てこないし、

 

それはそれで普通にコミュニケーションを取って

人間関係を築いていくことができちゃうのです。

 

 

この話を宇宙仲間のひろみさんにシェアしていたら、

 

「それって、あきらめざるを得ない

人生を生きてきたんだよね」

 

って言葉をもらい、そうかー、と思って、

過去を振り返ってみました。

 

 

これまでも何度か書いてきた通り、

僕の父は酒乱で母に暴力を振るう人で、

母は、統合失調症で、日常の家事も生活も

上手にできない人だった。

 

ただ、借金や家庭不和はあったものの、

父も母も僕のことはよくかわいがってくれて、

そのおかげで愛情不足を感じたことはありません。

 

だけど、「理解されない」という氣持ちを

幼少期に遡って感じてみると、

父にも母にも理解されたと感じたことは

ほとんどなかったように思う。

 

父はお金のことでいつも頭を悩ませ、

お酒を飲んで母とケンカばかり、

母は統合失調症で独り言ばかり、

 

どちらとも心を通わすような

深いコミュニケーションを取ることは

ほとんどなかったように思います。

 

 

小学生の頃、学校からもらってきた

保護者宛のプリント。

 

誰もがそうするように僕も

それを母に渡していたんだけど、

父や母はそれを読んで、

必要な手続きを行うことができず、

 

僕は学校で先生に、

 

「この前保護者宛のプリントに

書いてあった〇〇は持ってきてるかな?」

 

と言われて初めて、

プリントに書かれていた何らかを

準備してきて提出する必要があることを

初めて知りました。

 

それは、予防接種のプリントや、

各種手続きの書類や、

印鑑が必要な何らかや、

運動会や文化祭に必要な準備だったりでした。

 

 

そんなことが続くうちに僕は、

 

父も母もプリントに

書かれていることを

理解することができない

 

と思うようになっていき、

それ以来、僕は保護者宛の全てのプリントに

書かれている手続きを自分で

やるようになっていきました。

 

はっきりとは覚えていないけど、

小学生の低学年の頃だったと思う。

 

 

これだけじゃないんだけど、

こういうことがたくさんあった。

 

借金が重なっていて、借金取りが

連日玄関のドアを叩く毎日が続いたとき、

家計簿を計算して返済計画を立てたりもした。

 

僕の中で、両親はどんどん、

 

「何もできない人」

 

になっていったのです。

 

だから、当然、自分の気持ちを

理解されることも求めることもなくて。

 

父に暴力を振るわれ、傷ついた母の話を

聴く側になることはあっても、

自分の心のうちを両親に話した記憶は

ほとんどなかったし、

 

そんな両親に、理解を求めるのが、

酷なことのようにさえ感じていたから、

理解してほしい、という氣持ちも

ほとんどなかったように思います。

 

そうやって、幼少期から、

自分が理解されることを

あきらめていったんだなー、と。

 

 

小さい頃から、氣持ちを

理解する側に立つことが多かった。

 

そして、勝手に相手を

自分を理解できない人だと決めつけて、

理解されることをあきらめてきた。

 

それが今も続いているんだなー、と。

 

 

だから、千恵さんとケンカをして

受け入れてもらえなかったときに、

 

「自分はいつも理解して受け入れているのに、

なんで僕が怒ったときは受け入れてもらえないの?」

 

という幼少期からずっと続く心の叫びが

セリフになって表れてきていたのだと思う。

 

 

でもそれは、あきらめていないからでもあって。

 

普段、全く怒らない僕が怒りを表現するのは、

本当に千恵さんくらいのもので、

 

「理解されることをあきらめていないから、

理解してもらえないことが悲しい」

 

んだよ。

 

 

だって、理解されることをあきらめた人とは、

どんなコミュニケーションがあっても、

どんな関わりがあっても、

僕の中には怒りも悲しみも出てこないから。

 

出てくるのは、

 

「この人はそういう人だよね」

 

という氣持ちだけ。

 

「あきらめ」という予防線に守られた僕の心は、

1ミリも傷つかないのです。

 

 

そして、昨日の夜にこのことを素直に

千恵さんにシェアすることができて、

また1つ心が軽くなったような感じがしています。

 

この怒り、そして怒りの裏にある悲しみ、

それを千恵さんとのパートナーシップの中で、

溶かしていくんだなー、そうやって

お互いが取り組みあって癒しあうために

惹き合うのだなー、とまた

パートナーシップの深さを感じました。

 

 

まだ氣持ちも整理途中で、

凍ったままの悲しみもたくさんあるだろうと思う。

 

ただ思うのは、1人じゃなくてよかった、ということ。

 

人は、本質的に他人に興味などないこの世界の中で、

他人のことを100%理解し合うことなど

到底できないこの世界の中で、

 

「あなたの全てをまるごと愛したい」

 

と言ってくれる人がいること、

そんな人と共に人生を歩んでいけることは、

人生の喜びの中でも、

数えるほどしかない大きな喜びだと思う。

 

 

悲しみも、寂しさも、痛みも、苦しみも、

もっと素直に表現できる自分になっていこうと思う。

 

 

LINE@で心の声に従う生き方に

ついて発信しています。

 

友だち追加

(ID:@dgx0086v)

 

今なら特別音声、

「自分らしい人生を生きるたった1つのコツ」

もプレゼント中✨

 

【現在提供中のコンテンツ】

詳細はこちらからどうぞ。

完全無料で学べるプログラムもあるよ。