心の声に従うブログ

「引き寄せの法則」を徹底解説

ずっと親戚に対して心を閉ざしてきた超個人的な話

人はみんなそれぞれ精一杯生きているんだ、というお話。

 

めちゃくちゃ個人的な話です。

僕自身とっても大きな氣づきがありました。

 

 

今日、母のお姉さんと妹が千葉に遊びに来た。

 

僕は、親戚の集まりが苦手で、

あんまり親戚に会うのが好きじゃない。

 

 

これにはいろんな理由があって。

 

 

僕の母は、普通の人からすると、

 

いろんなことができない人

 

で。

 

 

掃除とか洗濯とか料理とか、

そういうことはもちろんするんだけど、

どれも決して上手ではない。

 

掃除も結構おおざっぱで掃除終わっても

まぁまぁ汚れたままのところがあったりするし、

 

料理も不器用でぶっちゃけ上手じゃない。

だから、今でも簡単な料理や

惣菜ものを買ってくることが多い。

 

新しいことを何か始めたり、

人と話すのも全然得意じゃない。

 

言われたことをちゃんとするのも苦手。

 

子育てやしつけも決してできる方じゃない。

(僕は怒られたり叱られた記憶がない)

 

 

母は幼少の頃はとても頭が良くて、

新聞の中から特定の文字を一瞬で見つけたり、

とんでもない記憶力を持ってたりしたらしい。

 

だけど、あるとき、激しい高熱と痙攣を引き起こし

それから少し知恵遅れのようになったらしい。

 

 

母の両親、僕から見たおじいちゃんおばあちゃんは、

とてもしつけの厳しい人だったようで、

 

母達5人兄妹はとても厳しい

しつけを受けて育てられてきたそう。

 

 

だけど、母が知恵遅れになってからは、

母だけは甘やかされて、

なんでもしてもらって育ったみたいで。

 

それで、兄弟の中でも一番不器用でできない子、

過保護で箱入り娘として育った。

 

 

だから、兄妹からも何かと心配されて

 

「もっとこうしないとダメだよ」

「もっとこうしなさい」

 

といろいろとことあるごとに

苦言や忠告を受け続けてきた。

 

 

母も性分で、何を言われても

自分が変われないから、周りからは

 

何を言っても変わらない

頑固で聞く耳を持たない

 

と思われてきてたんだよね。

 

母の名誉のために書いておくと、

母は不器用で何やっても下手くそだけど、

めちゃめちゃ優しいです。

 

 

で、そんなお母さんがお父さんと結婚して、

僕が生まれてからの話。

 

 

以前に少し書いたけど、

父は左官業をやっていて、

不器用で頑固な人だった。

 

親分肌でいい格好しい、プライドが高くて

気難しい職人気質の人だった。

 

 

それで、バブル後の不景気の影響か、

あるときからパッタリ仕事が取れなくなって。

 

家でお酒に入り浸り、貯金が底をつき、

サラ金で借金をし、母とケンカし、

母に暴力を振り、離婚騒動になる、

 

ということを何度も何度も繰り返してきたんだよね。

 

 

こういう状態だったから、

当然、母はより一層、

兄妹たちから心配されて。

 

実際、お兄さんには何度も生活面でも

助けてもらったことがあるんだよね。

 

 

で、そんな状態だったから、

正月とかお盆とか、誰かの何回忌とか

親戚の集まりとかがあると、

 

いつも母は周りから

責められてばっかりだったんだよね。

 

オブラートに包んで言ったけど、

僕からしたら、

 

お母さんがいじめられていて、

しかも、お父さんの悪口を

言われているようにしか

感じられなかった

 

んだよね。

 

これが、僕はとても悲しかった。

 

子ども心にもお母さんが

しっかりしていないのは知っていたし、

 

お父さんがやってることがよくないことも

よーく理解できていたけど、

 

それでも、

 

お母さんとお父さんが悪く

言われるのは耐えられなかった。

 

めちゃめちゃ悔しかった。

 

 

なんでそんなこと言うんだよ、何も知らないくせに!!

お前にそんなこと言われる筋合いねぇよ、バカヤロー!!

 

って内心、怒ってた。

 

 

毎年のように来る正月やお盆の

親戚の席が次第に嫌になり、

 

僕は親戚に対して

心を閉ざした。

 

 

そうは言っても、全面的に反抗したり、

露骨に嫌悪感を示したわけではなくて、

表面上は愛想を振りまきながら、

 

内心では言われたことは何も聞かなかった。

 

 

いま大人になって振り返れば、

子どもって小学生でも平気で

これくらいのことはやってのけるんだな、って思う。

 

愛想笑いも、聞いてるフリも、社交辞令も余裕でやる。

大人が思ってる以上に、子どもは賢くて聡明だから。

 

 

そんな感じで親戚の集まりは苦手だった僕だけど、

実際、家にはお金がなく、父が亡くなってからは

母子家庭と生活保護を受けて、中学、高校と生きてきた。

 

で、当然、稼ぐために就職するつもりで

公立の商業高校に進学した僕だけど、

 

その当時そこそこ頭がよかった僕は、

ランクを下げて高校に入ったから、

成績は毎回学年トップクラスだった。

 

 

その商業高校は、半分が進学、

半分が就職するような学校で、

進学する半分はほぼ推薦での進学だった。

 

3年の時点で、ちょうどトップにいた僕は、

家庭の事情など何も知らない担任の先生から

その高校から進学できる全大学のリストと

就職先のリストを渡され、

 

「松田、どこでも行きたいところを選べ」

 

と言われた。

 

 

そして、その事情を知った母の兄と妹が、

僕の将来のことを考え、

進学を応援してくれることになり、

 

結果、妹さんが4年間の学費を

すべて負担してくれた。

 

 

なんだかんだ言いながらも、

僕自身もがっつり親戚の

お世話になった。 

 

 

そんな感じで、親戚に対しては、

 

親も僕もとても恩が

あるものの苦手 

 

というのが僕の本音で。

 

大学に入るときも

大学を出て就職するときも、

就職して働いてからも、

 

母は僕がやることに

口出しをしてこないけど、

親戚の方があれこれ口出ししてくる

 

という状況だった。

(もちろん心配してくれて)

 

 

僕は結構、独立心が強く、

なんでも自由に自分でやりたいタイプだから、

その当時は、

 

本氣でほっといて

欲しかった。

 

 

一度心を閉ざすともうダメで、

あーしなさい、こうしなさいと

言われたことのほぼ全てを無視して

自分がやりたいようにやってきた。

 

 

 

でも、真理や心のことを学ぶようになって、

自分の意識も成長してきて、

 

心配してくれてただけ

悪氣はない

 

ということもよーく理解できるようになった。

 

 

随分と話は長くなったんだけど、

ずっとそんな状態で、

今日、その親戚の5人兄妹のうちの

2人が遊びに来てくれて、

 

物心ついてから僕史上初めてと言ってくらい

心を開いていろんな話をしてきた。

 

 

心を閉ざしてからは、

母の親族に対する興味も一切失って、

誰が誰の子どもとか、誰と誰が兄妹とか

親戚の集まりとか全部どうでもよかった。

 

当然、自分から知ろうとすらしなかった。

 

 

だから、今日いろいろと話をして、

28歳になって初めて知ったことだらけだった。

 

僕は生まれが遅かったので、

生まれた時点でおじいちゃんおばあちゃんも

3人が亡くなっていて、

 

おじいちゃんおばあちゃんが

何をしていた人なのかはおろか

名前すら知らなかった。

 

 

そんなだから当然、

母の5人兄妹が

 

どんな人生を送ってきたのか、

どんな家庭で育ってきたのか、

何をして生きてきたのか、

 

何にも知らなかった。

 

 

話を聞いて思ったのは、

 

人はみんなそれぞれの人生を

精一杯生きている

 

ということ。

 

生きてきた環境

育てられた家庭

苦しかったこと

悲しかったこと

頑張ったこと

嬉しかったこと

楽しかったこと

 

いろんなことがあって、

その中で精一杯自分のベストを生きている。

 

 

自分が正しいと思ったものの中で、

自分が信じる正しい道を生きている。

 

そこには、悪意や敵意があるわけじゃなく、

ただ、自分の中の正しさがあるだけ。

 

 

それは、ある意味で仕方のないこと。

 

 

心理学や自己啓発の世界のように、

 

誰もが、自分の価値観や考え方を

変えたいと思っているわけじゃない。

 

誰もが、自分の中に正しさがあることに

氣づいているわけじゃない。

 

 

みんな自分が持っている「正しさ」の中で

ベストを尽くして生きている。

 

それが、たまに

 

ぶつかりあったり、

押し付けになったり、

過保護になったり、

 

いろんな形になって、

お互いを傷つけ合うだけ。

 

そして、それがどこかで

 

誤解を生み、

悲しみを生み、

心を閉ざし、

断絶が生むだけ。

 

 

親戚のみんなが僕の母を心配したように、

父と母が責められていると感じて僕が心を閉ざしたように。

 

 

そこに悪意も敵意もなければ、

悪者も敵もいない。

 

 

 

今回、4、5時間ゆっくり話をして、

こんなにちゃんと話したのは僕の人生では初めてで、

 

またひとつ自分の中で分離を手放せたな

 

と深く体感しました。

 

心を閉ざすのは、

 

いつも自分から

 

なんだよね。

 

 

つらつらと書いてたら

こんなに長くなってしまった。笑

 

まとまりの文章だけど、今日はこの辺で。

 

写真は、幼少期の僕と母。

 

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