生きる、ということは、1枚のジグソーパズルを完成させていくプロセスに似ているかもしれません。
生まれる前に使命という1枚の絵を描き、それをバラバラに砕いてこの星に降りてきた。
日々の出来事は、何の意味も感じられないものばかりで、
そのひとつひとつの正確な意味を見出すことは、おそらく難しいでしょう。
僕たちはまだ何も埋まっていない空白のフレームに毎日ピースを埋めていきます。
僕は今27歳なので、僕のフレームには27年分のピースが埋まっているわけです。
すると、あるときぼんやりとジグソーパズルの全体像が見える瞬間があります。
なんとなく、「自分はこれをするんだろうな」「これは自分の役割だな」と感じること、わけもなく「これが好き」と思えること、なぜだか心がワクワクすること、
それは、自分の深い部分、魂がジグソーパズルの完成図に近いものを感じているから、そう思うのです。
人生には無駄な出来事はひとつもありません。
なぜなら、僕たちの目の前で起きる現実は全て魂が創造したもので、ジグソーパズルのピースだからです。
たとえ僕たちが自由意志の元にどんな選択をしようとも、魂はそのときどきの僕たちの状態に応じて、ジグソーパズル完成への最短ルートとなるピースを目の前に差し出してくれるのです。
だから、たとえ小さなサインを見逃したとしても、僕たちの感性がそれを捉えられなかったとしても、魂は、僕たちに気づくようにサインを送り続けています。より大きな音を奏でて、より強いインパクトを持って。
そのサインにいつまでも抵抗していると、ときに魂は大きな痛みや苦しみを連れてきます。
「もう気付かなきゃダメだよ。これ以上はもっと大きな痛みになるよ」と。
ですが、ひとつサインを読み解き、次のステージに進むとより大きな愛、純粋な自分に近づいていきます。
それは、ジグソーパズルの完成に向けて一歩前進したことになるからです。
ジグソーパズルは本来の自分自身そのものと言い換えてもいいでしょう。
つまり、今この瞬間に自分の目の前に起きている現実は、どれだけ痛みや苦しみを伴うものであったとしても、完全で完璧でジグソーパズル完成への最短ルートが示されているのです。
それを偶然と呼び嘆くか、自らのテーマと捉え取り組むかは自由です。
どちらを選んだとしても、魂はまた最短ルートを目の前に差し出してくれるからです。
ですが、だからと言ってチャンスは無限というわけではありません。
なぜなら、僕たちには肉体があり、この世にいられる時間は有限だからです。
どうせここに生まれてきたのなら、人生は喜びが多い方がいいし、存分に自分を表現した方が楽しいでしょう。
それも、自由です。
せっかくだから、楽しんで生きたいですね。
世界はこんなに美しく、感動に満ちているのですから。
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